釈迦の予言                                                                   2005.10.15

 

 釈迦の予言>

 

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「2500年前の予言」
 『月蔵経』『法滅尽経』 これはれつきとして教典です。しかしこの名を聞いた事のある人は少ないでしょう。
 それは、ごく一部の専門家たちの間だけで密かに読みつがれてきたものだからです。
 しかし、最近になってこのお経に関心を持つ人が急に増えてきました。それはこのお経の内容が

現代の混乱した世の中を見事に予言の通りに言い当てていることと、とりわけ日本の将来につい

て一種の予言が述べられているからなのでしょう。

 

『月蔵経』(がつぞうきょう) 『法滅尽品』  

 「大方等大集経巻第五十六/大集経月蔵分第十二法滅尽品第二十」より抜粋

原   文

時須臾頃 大地普震動 於其虚空中 出大悪音声

四方起大悪 火爨数百千 火幢大可畏 現住在空中

 

当時虚空中 大声震於地 一切皆遍動 猶如水上輪

城壁砕落下 屋宇悉圯圻 樹林根枝葉 花葉果薬尽

 

読み下し文

是の時、須臾の頃(あひだ)、大地、普(あまね)く、震動し、其の虚空(こくう)中に於いて、大悪音声を出し、

四方に大悪起こり、火爨(かさん)数百千、火幢大いに畏(おそ)るべし。現住して空中に在り。

 

時に当たり虚空中に、大声あり地を震(ふる)ふ、一切皆遍(あまね)く動き、なお水上の輪の如し。

城壁砕け落下し、屋宇(おくう)悉く圯圻(いき)し、樹林の根、枝葉、花葉、果薬尽く。

 

 

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大方等大集月蔵経 『法滅尽品』

大乗仏教では、「三時説」による終末論を唱えた。これは、釈迦牟尼が入滅した以降の歴史を正法・像法・末

法の三期に区切ったものである。現代は末法の時代ということで、最も詳しく書き残しているのが、『大方等大

集月蔵経』というお経の中の「法滅尽品」である。


「東西南北の国王が互いに戦争をし、侵略を行う。人民・僧侶を殺戮し、女は犯し、町は焼き払い、寺院を壊し、

寺宝を盗む」

「虚空中に大音声が響き渡り、大地が震える。すべてのものが揺れ動き、その様子は水に広がる輪のようである。

城壁は砕けて落下し、家屋はことごとく折れ、へし曲がる。樹木の根も実も折れ尽きる」

「やっと手に入れた食べ物も毒を含むようで、味もなければ栄養もない。悪疾が次から次へと流行する」

「太陽と月は光を失い、星の位置が変わる。白い虹が太陽を貫く凶兆があると、大地は振動し、水は涸れ、

不時の暴風が起こる」

「農作物は成熟せず、打ち続く日照りで、わずかばかりの水溜まりも干上がり、土地はひび割れる。餓死者は

あとを絶たないが、偽政者は権力争いに終結して、互いに傷つけあい、損ねあうことしかしない」

「人は求道のためにではなく、生活のために出家する。僧となって以降は、ひたすら名利を追い求め、学問修

行はせず、経より娯楽の雑書を好み、戒律を捨てて女性と戯れ、衣服を着飾り、名利のためには俗塵にまみれ

た営業も厭わない・・・」

 

「法が滅しようとするとき、五逆の罪を犯す者が多く現れ、世が濁り、魔道が興り、盛んになるだろう」

「悪魔が僧侶となり、仏道を乱し、破壊するだろう。魔僧は俗人の服を着て、袈裟も五色のものを好んで着るよう

になるだろう」

「下男が比丘となり、下女が比丘尼となるから、道徳もあるはずはない。これらの人は淫乱で、男や女の区別を

しないだろう。半月ごとの布薩の日に、戒経・戒本の読じゅをいやいやながら行い、怠けて聴こうとしないだろう。

経典を習わず、たとえ読める人がいたとしても、その字句の意味を知らないだろう」

「役人は道理に適わない税を取り立てようとする。このため人々は反乱を起こし、その機に乗じて利を得ようとす

る。悪人は海中の砂のごとく多く、善人は非常に少なく、ひとりかふたりしかいなくなるだろう」

「法が滅しようとするとき、女人は精進し、男子は怠けて仏の教えを用いず、目に僧侶を見ること、糞土を見るが

ごとくで、信心などはまったくないだろう」

「世界がなくなろうとする直前に日月が短くなるだろう。このため、四十歳で頭が白くなる。男子は長生きしても

六十歳だが、女子の寿命は長く、七,八,九十歳、あるいは百歳になるだろう」

「法が滅尽しようとするその時、諸々の天は涙を流し、悲しむだろう。雨が降らないため、五穀は実らない。病気

が流行し、死する者は多く、人々は苦しむだろう」

「大水がにわかに起こり、終わる事がないだろう。世の人々は仏法を信じないため、この世は永遠にあると考え

るだろう。富める者、賤しい者を問わず、すべての者が水に溺れ、漂い、魚などに食べられてしまうだろう」

「時に、菩薩・びゃく支・阿羅漢(三乗)は、多くの魔僧に追い立てられ、仏教の集まりにもあずかれない、このた

め、三乗は山の中に福徳の地を求め、そこで自分たちだけで法を守り、それを喜びとするだろう。この人々の

寿命は延び、諸々の天が守護するだろう」

「一方、月光菩薩が世に現れ、五十二年間、仏法を興すであろう」

「首顎厳経や般舟三昧経が人々を教化し、やがて滅し去るだろう。次いで十二部経が現れるが、次第に滅し、

その文字さえ見る事ができなくなるだろう」

「法が滅するときは、たとえてみれば油燈の油がなくなるときに、炎が一瞬明るく燃え上がるようなものである。

これから後は説くことができない」

                    大正新脩大蔵経 第13巻 大集部 全(大正新脩大蔵経刊行会 1924) より

 

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「法滅尽経」(ほうめつじんきょう)

   私は、このように聞きました。
  ある時、世尊はクシナガラという所におられ、ちょうどお亡くなりになる前でありました。
  たくさんの修行僧たちと書き尽くせないほどの大衆が、世尊のもとにお集まりしていました。
  世尊は静かにしておられ、教えを説こうともせられず威光も現われず、ただ黙っておられました。

  阿難は、世尊に礼拝してお尋ねになりました。
  「世尊は、いつでも説法をお聞かせ下り、いつもは威光が現われていらっしゃいます。
  こうして、大衆が集まりましたのに、今は光明も現われません。
  これには何か深い理由があると存じますが、どうぞ、その心をお聞かせ下さい」
  このように申し上げました。


  世尊は、阿難に次のようにおっしゃいました。


  「私が亡くなった後の事であるが、仏法が滅しようとする時、重罪を犯す者が多くなり、魔道が

   盛んになるであろう。
  魔類が僧侶の格好をして教団や仏教徒の中に入り込み、仏法を内から乱し破壊していくだろう。
  魔僧は、俗人の衣服を着て、袈裟も定められた以外の服を喜んで着るようになる。
  魔僧は酒を飲み、肉をむさぼり食らい、生き物を殺して美食を追求する。
  およそ慈悲心など全くなく、仏の弟子たる僧たち同士、お互いに憎んだり妬んだりする。
  そんな末法の世の中でも、まともな菩薩・聖者と呼ばれる人たち・尊敬に値する人たちが出現し、

   精進修行して徳を修めるであろう。
  世の中の人々は、皆、彼らを敬いあがめたてる。
  すべての人々を平等に教化し、貧しい人を哀れみ、老人を労い、頼るべき人がない者を救済し、

   災難に会った人を養うであろう。
  まともな菩薩らは、常に経・仏像をもって、人々に奉仕することの大切さを教え、仏さまを礼拝

   することを教える。 
  菩薩は、多くの功徳を行い、その志と性質は仏法にかなっており、人に危害を加えない。
  自分の身を犠牲にしても人を救おうとし、忍耐強くて人にやさしい。

  もし、まじめに仏の教えを実践している人がいるとすれば、魔物の身代わりの僧たちが、皆、これを

 妬み、非難し、悪口を言う。
  そして、世間に彼の欠点をほじくり出して吹聴し、お寺から追い出す。
  菩薩の道を実践する僧たちが目の前からいなくなれば、魔の僧たちは寺を荒れ放題にしておくだろう。
  魔僧は、自分の財産や金銭をむさぼり貯える事ばかり努め、福徳など全然行わず、衆生を傷つけ、

  慈悲心など全くなく道徳などもない。
  彼らは淫乱な事をし、男女の区別なく悪業を働く。
  仏法が衰えていくのは、彼らの仕業である。
  徴兵や税金の取り立てから逃れる為に僧侶となることを求め、修行僧の格好をしていても実は修行なぞ

  していない。
  お経を習わず、例え読める人がいたとしても字句の意味も分からない。
  よく分かっていないのに有名になりたがり、他人から褒められようとし、智慧や徳もないのに容姿だけは

  堂々と歩いて見せ、人から供養される事ばかりを望む。
  こういう魔僧は、死後に無間地獄に落ちる。

  仏法が滅しようとする時、女人は精進して常に徳を積むが、男子は怠けて信心がない。
  仏法が滅ぶ時、天の神々はみな涙をこぼし、泣き悲しむ。
  作物という作物は実をつけなくなり、疫病が流行し、死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。
  税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。
  悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。
  世界が最後になる寸前には、日月が短く、人の寿命も段々と短くなって四十歳で白髪になる。
  男子は淫乱にして、精も尽き若死にするようになり、長生きしても六十歳ぐらいであろう。
  女子の寿命は八・九十歳、あるいは百歳となる。

  時に、大水がにわかに起こり、富める者も卑しい者も水中に漂い魚の餌食となるであろう。
  菩薩や聖者たちは、魔僧たちに追い立てられ、福徳の地へ行く。
  菩薩や聖者たちは、しっかりと教えを守り、戒めを守り、それを楽しみとする。
  その人たちは寿命が延び、諸天が守って下さる。
  そして、世に月光菩薩が出て五十二年の間、仏法を興す。
  しかし、段々と滅っしていき、その文字を見ることも出来ないのだ。
  修行僧の袈裟の色も白に変じる。
  仏法が滅する時は、例えば油燈の灯が油のなくなる寸前、光が盛んになるのと同様である。
  これ以上は、説いて聞かせることが出来ない。
  その後、数千万年たってから、弥勒菩薩が下ってきて仏となる筈である」

  阿難は、世尊に礼拝して、「このお経は何と名付けられますか」とお尋ねいたしました。
  世尊は、「阿難よ。この経の名は法滅尽経となす。誰にでも説いてよろしい。そうすれば、功徳は

  計り知れない」とおっしゃいました。
  世尊の説法を聞いた人たちは、皆、悲しみ沈みました。
  だからこそ、今のうちに無上の道を修めようと発心した。
  そして、皆、世尊を礼拝して退座していった。

 

『将来我が法滅尽せんとする時、我が法中に於て出家した比丘比丘尼達が戒行を修めず、在家

   の人達と同様に我児の臂を牽いて、酒楼より酒楼へ遊びまわり、淫事をなすであろう。・・』

 

参考 『大悲経』 重文 正暦寺

 

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『大集月蔵経』に依れば、

仏陀入滅後の五百年は、もろもろの比丘、智慧を研いて仏教が維持さるる解脱堅固の時期であり、

第二の五百年は、禅定堅固であり、第三の五百年は、多聞堅固であり、第四の五百年は造寺堅固であり、

第五の五百年は、白法隠没して、諍訟のみ、ただ微しく善法が残るといつた闘諍堅固の時期なりといふの

である。

(『大集経』取意、伝教大師『末法燈明記』参考)

 

そしてこの第一の五百年を正法の時代、第二第三の一千年を像法の時代、第四以下の一万年を

末法の時代として、正・像・末の三時を区分するのである。

 

 「我が末法の時の中に億億の衆生、行を起こし、道を修せんに、未だ一人も得る者あらじ」といふ

『大集経』(聖典三三八頁)の予言の如く、末法の今は、戎・定・慧三学の行を修して証をうるもののいない時代

である。従って、末代の凡夫に与えられた白法は、願生浄土の一法のみである。

されば支那の道綽禅師は、当今は末法なり。この五濁悪世には、ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり

末代の私共を策動さるるのである。

                                 (『安楽集』聖典三三八頁)

 

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「法句経」より

「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」

 

諸々の悪を作さず、衆の善を奉行し、その意(魂)を自ら浄める、これ諸仏の教なり。

                               (『法句経』第183偈)

 

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